2019 シクロクロス全日本選手権 愛媛県内子町

©MakotoAYANO/cyclowired.jp

野辺山を終えて2週間。シクロクロス全日本選手権。野辺山の走りを踏まえて、必ず勝負に絡む走りができると思っていたし、勝つ気でいた。しかし、野辺山後のトレーニング中に右足に違和感を覚え、嫌な記憶が蘇った。調子良く走れていたけれど、全日本選手権で独走に持ち込んで勝つためにはもう一つ上の段階で走れる必要があった。トレーニングの質も上げ、量も増やし、過去の怪我の患部が耐えうるギリギリのラインで攻めていた。リミッターを超えないように、頭でトレーニングすることを我慢し続け、耐えていたけれど、全日本選手権というタイトルに手が届いている感覚があったのでそこで自制心を保ち切れなかった。脚に違和感があるけれど、一発勝負、レースの間で大きくパフォーマンスを下げ切ることはないとわかっていたから、とりあえずレースの間は持ってくれと願いつつ、全日本選手権前の1週間は過ごした。

愛媛県内子町まで移動し、レース前日の試走を行った。だいたい1時間ちょっとほど、コースのレイアウトを覚え込んだ。県道を封鎖したホームストレート以外は細かいコーナーが多く、踏んでいくと直線は一瞬で終えた。コーナー数が多く、速度域を落とさずに曲げていきたいので、コーナー毎のラインどり、バイクの挙動を覚えた。急な土手の登り、そしてキャンバーセクションはそれぞれセクション練習の選手の渋滞が起き、リズムよくそれらのセクションをトレーニングすることは難しかったが、なんとなく流れを掴むことができた。階段セクションは3か所あり、ピット前の階段とゴール前の長い階段とがリズムよくいけるように特に意識した。しかし、全体としてコースを自分のものにできている感覚を掴めず、悶々としたまま試走を終えた。

レース当日。レース前の試走でコースを最終チェック。天気は良く、気温も高くなった。前日に比べ、コースは乾いていて、路面の硬度が増していた。前日なら1.5Bar で走ってもいいかなと思う1.6Barだったけれど、レース当日は1.6Barでないといけない状況だったので、空気圧はそれで決まり。タイヤはシケインの一択。コースを三周し、試走を終えた。印象は良くなかったが、レースになれば切り替わるだろうと心を落ち着かせた。

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スタートライン

スピードが高いというよりかはスピード差がつきにくいコース、序盤から勢いよくいこうと決めていた。マシンも使い分けて序盤はチタンハイブリッドで走り、中盤以降はカーボンハイブリッドでレースを展開すると事前に打ち合わせていた。そのバイクを変えるタイミングはレースの流れを見て決める。僕自身は脚が不安で階段での負荷が一番気がかりだった。そこをクリアすればこの日の状況でもある程度勝負ができるとわかっていた。

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スタートは大きなトラブルなく決まった

スタートは一列目。スタートし、4番手でレースを進める。急な土手登りセクションでの他選手のミスに巻き込まれて遅れをとるのは避けたかったのでそのセクションに入るまでにはトップに出ようと思っていた。けれど、4番手という位置で前にまで上がれるかなと不安だったが集団のペースが思ったより上がらなかったので先頭に出て1周目の土手登りを通過。

先頭に出る photo by 原貴志さん

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淡々と踏み続けた

その後、とりあえず序盤からレースを作りたかったので、ゴール前の階段を上ってからは踏み続けた。ペダルキャッチからのスタートでは前の位置が有利だし、とにかく踏んでいった。後ろにいれば楽なのもわかるけれど、そのもう一つ上でレースを展開したかったのでとにかく踏み続けた。3周目に入るタイミングまでとりあえず先頭で踏み続け、5人パックに絞ってから先頭を交代した。

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土手の登り

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ホームストレートへと続く階段へのアプローチ

けれど、後ろにいた各選手がそれぞれ少しは踏んでくるのでそれに対応するうちに自分の体力もだいぶ使った。5周目あたりでそろそろカーボンハイブリッドに交換するか迷った。一回目のピットを迷いながら通過し、そろそろ後半に向けた身体のギアチェンジをしなあかんと考えていたところでピットにいる社長から「バイクかえるか?」といわれ、替えたい!と思い「うん」と答え、急遽ピットイン。僕のバイクを受け取る準備ができてなかったけど、そこはうまくやり、バイクチェンジ。速度差が出やすい方でバイク交換をしたし、先頭ではペースが上がっていたので少し差が空いたが、遅れる気がしなかった。しっかり踏んでいってコース後半には追いついてバイク交換の遅れを取り戻し、トップ集団争いに戻った。

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集団にすぐ復帰

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後半に仕掛ける

その後は牽制も入ったりしたが、とりあえず各選手の動きが見やすい2番手でレースを進めた。一度、飛び出しを図ったがうまくはいかなかった。

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彼と最後は2人で争った

レース後半、土手の急な登りで4人にまで絞られていた先頭集団が分かれ、僕はトップ争いの2名になった。それからは、相手の動きを見て、勝負所を考えていた。階段での体力の消耗が大きく、変に力んでしまってバイクがスピードにのせれてなかった。

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追いつかれて、並ばれて

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負け

ラスト1周のコース後半でインをついて先頭に出て、土手の登りを安全に通過、そのまま階段セクションに入り、ペダルキャッチを確実にしてそのままスプリントへ。先頭のまま仕掛けた。ペダルキャッチのスピード差が生まれることを願ったがそうはいかず、スプリントもラスト100m切るまでは先頭だったが抜かれてしまい、2位でゴール。

レース後、色々と反省点、負けた理由など思い当たるところが多々あった。けれど、そもそもスプリントに持ち込んでしまうレースをしている時点で僕は負けだった。自分の弱さが悲しく、チャンピオンになれなかった悔しさ、そして、レースが終わった疲労感。おまけに表彰台では眠気がきて、目が半開き。

内子町長さんにメダルをかけて頂きました photo by 原貴志さん

レースを振り返り、色々と思うけれど、それでもこの日できることをやったし、その時々に下した判断もそうとしかできなかった。今回の反省を活かし、次回につなげていきたい。この数年間、怪我をしてからその怪我との向き合い方、走り方、考え方など多くのことを試行錯誤してきた。ずっと歯がゆい思いでどうすれば今の身体で良いパフォーマンスにつなげていけるか、結果につながるのかを考えていた。その一つの答えが出た。負けてしまったし、最後はまたオーバーワークしてレースは万全の状態ではなかったけれど、日本でこのパフォーマンスができるところまでまた戻ってこれたのは素直に嬉しい。次はこの一つ上の段階で、そしてそれを世界で。その道筋が見えた。

全日本選手権会場ではたくさんの声援を頂きました。どうもありがとうございました。そして、勝てず、すいませんでした。これからもスタイルを変えることなく、チャレンジしていきます。引き続きよろしくお願い致します。