2018 シクロクロス東京 Cyclocross Tokyo

世界選手権を終え、翌日に帰路へ。現地スタッフともお互いに慣れたように別れを告げた。ホテルから空港までのトラックの中で来シーズンの話をしてくれるランジット。来シーズンのことまでまだ自分の思いがついていってなかったけれど、心が救われる気持ちになった。

日本には火曜日に帰国し、急ピッチで日曜日に開催されるシクロクロス東京に向けた準備を進め、金曜日から現地入り。時差をあまり感じる余裕もなく、時差への耐性ができたというよりかは身体がバカになっているという表現の方が正しく思えた。

レース前日の土曜日は会場内メインステージにてトークショーをやらせていただいた。日本のレースとヨーロッパのレースの違いについて、という話を振って頂いた時に答えることができなかった。違いではない、それは別物。自然と僕の中でそう捉えているから質問に答えることができなかったのだとトークショー後に気づいた。どっちが良い悪いという話ではない、別のものだから。若い選手二名とMCの方で楽しくトークをさせて頂いた。

トークショー後はペダリングのトレーニングを行い、世界選手権後初めてしっかりと身体を動かせれる余裕と気持ちになった。

日曜日はレース本番。たしか第1回大会から毎年出場させて頂き、そして毎年強豪海外選手を当て馬にされ、僕は毎年彼らに噛みつくので必死だった。日本の大会で華を持っていかれないように、日本開催だからこそ日本人が勝つ、そして彼ら海外招待選手のビックネームに日本人は強かったという思いを刻み込ませたい一心だった。しかし、今年は海外招待選手が不参加で、日本人選手のみでの開催。だから、僕としてはこれは今までのシクロクロス東京とは全く違うレースと捉え、参加した。

シーズン最後の大きな大会ということもあり気合いが入っていたけれど、世界選手権のときからの脹脛の状態が良くなりきらず、レース当日までずっと脹脛の疲れが抜けきらなかった。負荷をかけるとすぐに患部に疲労を感じる状態だった。ペダリングの意識を変えること、もしくは疲労の向こう側にまで追い込みきるしかないと思っていた。どちらにせよ、僕の持っているものを一周目から出し切ろうと思った。

スタートし、1周目のサンドセクションへはトップで入る。そして、ハイペースで1周を終える。この時点で2位の小坂選手と10秒と少ししか開かなかったのでこのレースは厳しいと思った。2周目に入ると左足の患部の疲労がひどく、大きく失速。砂の轍をトレースするためにバイクの上でバランスをとることすらできず、2周目後半には小坂選手にパスされる。耐えればまだどうにかなるかと思い、小坂選手の後ろで休ませてもらう。彼と差が広がっても砂セクションで差を詰めることは容易だったのでマイペースで身体を気遣い走り続けた。

途中、潮の加減を見て、ピットスタッフからラインどり変更の指示が入ったのでラインどりを変更した。その際に小坂選手に追いつき、とりあえず再びトップに躍り出た。そこからは身体に鞭を打ち、砂区間でペースを一気に上げた。空気圧を1.1Barにまで下げていたために森林区間ではタイヤがよれてペースが上げれない分、当初のイメージ通り砂区間で勝負に出た。その後、小坂選手との差が30秒前後まで開き、その差で均衡したが、ラスト20分で更に大きく差を開くことができた。僕もラスト2周は右足ハムストリングが痙攣し始めたのでペースを少し落とさざるを得なかったが、最後までうまくまとめたレースができた。

レース前は心の中で2位と3分差開けて勝ちたいと思っていたけど実際は1分40秒差。1周目のペースで毎周回平均して回れたらそれも叶ったかなと思うけれど、今の身体ではそれが出来なかった。2周目に失速したときはクタクタでどうしようもなかったけど、レース中にまた身体が動き出してくれて良かった。

東京オリンピックの関係で今年が一旦最後となるシクロクロス東京。毎年、海外選手とレースをさせてもらってきた中で今年は日本人だけというレースの構図になっても尚、沢山の方にレースを観に来て頂き、その中で走らせてもらい、優勝させてもらった。更に2位の小坂選手とも世界選手権を一緒に走り、お互いに切磋琢磨し、ハードスケジュールの中で迎えたこの大会で上位2位を獲得できたことは嬉しかった。

大会中、多くの方に声をかけていただき、たくさんお話させてもらいました。どうもありがとうございました。皆さんとの時間を糧にまた頑張ります。今後とも宜しくお願いします。