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Qiansen Trophy UCI1 Yanqing stage

Qiansen Trophy UCI1 Yanqing stage

Fengtai stage の終了後、三日後に次のYanqing stage のレースが開催された。Fengtai stageの翌日、バスで次のレースの開催地、Yanquingへ移動し、さっそくコースの試走を開始した。レース本番までは二日間の猶予があった。

ホテルからコースへの移動中。Thijs選手たちと。

次のレースのコースの試走を開始したが、求められるのは確実なリカバリー。コースの試走も福本選手に合わせ、身体の血が気持ちよく体全体に回る程度を意識して走る。前日に使用したバイクは鬼頭メカニックにホテルで洗車をしてもらっていたため、2号車で試走をした。同じサイズのフレーム、ハンドル、ステム、サドル、バーテープ、そして取り付ける位置にしても全く同じにしている二台のバイクだけど、やはりどこか違う。その違和感が覚えるポイントを頭に入れる。福本選手は新しいバイクのフレームやセッティングを再度一緒に協力して煮詰める。昨日のレースの疲れからか、サドルを上げたいという彼女。この日は鬼頭メカニックもホテル待機のため、サドルを上げてあげる。けど、たぶん悪い方向に向かっていたので、改めて新しいバイクの特徴と今のセッティングの中で必要な意識しなければいけない点を僕がわかる範囲で伝え、前日のレースの修正をお互いに模索した。彼女も選手であるため、要点だけを伝えるとその意味が分かってくれる。僕のことを知っている方なら御存知だと思うけど、とにかくアバウトにバイクの乗り方を伝えた。すると、彼女の走りがイキイキとしだし、バイクの進み具合がよくなった。僕も程よく走れ、二人とも上機嫌で試走一日目を終える。ホテル帰宅後は、試走で使用した2号車のバイクポジションを前回のレースで使用した1号車に近づけるため、気が済むまでバイクを触り続けた。

バイクの整備をしてくれている鬼頭メカニック。

 

試走二日目。この日は午前中はレース主催者主催の万里の長城観光ツアーに出かけた。観光らしい観光で歩くのも大変だったけど、中国の歴史を肌で感じるいい機会だった。

その日の午後からはまた試走を開始。この日は鬼頭メカニックも同行。翌日のレースの天気予報も晴れで、この日も晴れ。コースコンディションが大きく変わることはない。前日の試走の段階でコースは幅が狭く、路面が硬い。基本平地でハイスピード。スタート直後に階段セクションが2か所。急勾配の登り、その後に合わせて100mほど登り基調なパートが1か所あり、そこが一番パワーを要するポイント。その他は林間を縫って走る。ベルギーで行われるアマチュアクラスのシクロクロスレースのようなコースで、よく考えられているいいコースだと思った。タイヤとホイールの組み合わせも考え、どのパターンが一番スピードが乗り、効率よく走れるかを模索した。ホイールは前回のレースより10mmリムハイトの高いFFWD社のF4Rをチョイスし、タイヤのセッティングも決め、スピードの効率化を考えた。ベストチョイスに至るまでも空気圧を調整したりと、4パターンほど鬼頭メカニックと話し合い、比べ、この日の試走を終えた。福本選手もニューバイクの乗り方の要領を掴んだのか、とても楽しそうに走っていた。タイヤのチョイスで迷っているようだったけど、「スピードが出る方はどっち?」「こっち」「なら、それやね」、、でこの日の試走を終えた。選手なので安全マージンを考慮したチョイスをしたくなるけど、今の彼女の走りにはそのチョイスが必要ないように思えた。

レース当日。この日も天気が良く、最高気温は28度ほど。しかし、日影が多いコースなので、前回同様、僕はボトルを持たずにスタートしようと決めた。福本選手も含めた女子選手と共に前回同様に会場入り。福本選手のレース前の試走に1周だけ付き合い、彼女の不安な点の要点をまとめ、払拭できるように努力した。走るリズムが良かったので、この日の彼女の走りが期待された。その後、2周は自分のペースで試走をした。前日に決めたセットアップで間違いないように思えた。

僕のレースまでは福本選手のレースの応援をした。彼女は前回のレースとは違う走りができており、バイクも上手に進ませることができていた。終盤にかけて、パックで展開し、身長の大きな選手相手に果敢に勝負する彼女の走りはなかなかかっこよかった。

さて、ついに僕自身のレース。この日は実は、、久々にとても緊張していた。レース前から勝負に絡むことができるかもしれないという予感があった。と、いうのも前回のレースで3位になっていたアメリカの選手は今年2月に行われたシクロクロス東京の際に来日し、共にレースを走り、シクロクロス東京では僕のほうが先着していた。シクロクロス東京のコースは少し特殊で彼の実力がその日の結果であったかどうかは定かではないけれど、人間のパフォーマンスとしては僕でも勝負できるかもしれないと思っていた。それに前回はスタート時の落車によって足止めされた出遅れとその出遅れからレース後方になってしまったが故に序盤の数周で出来たギャップが大きく、レース終盤になるまで上位に詰めきることが出来なかったけど、レース終盤のペースはトップ3‐5位の選手と遜色ないだろうと思っていた。だから、スタート位置が悪い僕にはスタートがとても重要だった。スタート直後の階段セクションでどの位置にまで上がれているか、そこで大きく僕のレースの行方が左右される。そして、このコースは絶対にヨーロッパ選手が得意なコースに思えた。ベルギーやオランダにはこのコースのような平地の林間コースが多くあり、普段彼らが練習しているであろうコースと似ているはずだった。なので、前回のレースとまた違ったヨーロッパテイストの実力差が生まれやすいと予測できた。そうとわかれば気合いも入った。

僕のスタート位置は前回と変わらず、前から3列目。位置取りは第一コーナーに対して一番イン側のコースと観客を仕切るフェンスギリギリ。スタートの100mないぐらいの直線でどこまで攻めれるか、とっても緊張した。

スタートのピストルの音と共に踏み出した一歩で2列目にいた前方の選手とフェンスの間にハンドルと身体を無理やり滑り込ませ、パス。その選手はパスした瞬間になにか文句言っていたけど、それどころではない。前に前に、かなり踏んでいった。上の写真はスタート後すぐの第1コーナー。スウェーデン選手の後ろに僕がうっすらと写っている。このあとの階段セクションの時点で10番目くらいかな。トップが見える。ナイススタート。心の中で逸る気持ちを抑える。冷静にレースを進めないと一つのミスが命取りになることは十分承知していた。

前回のレースのトップ二人とThijs選手が先頭3人にいて、その後ろにデンマーク人、アメリカ人、スウェーデン人、そして、僕な感じの隊列。なので、前から前回1位のベルギー、同じく2位のスイス、6位のオランダThijs選手、デンマーク、前回3位のアメリカ、スウェーデン、日本、以下続く、な流れ。序盤からトップ3人はペースを緩めない。

他の選手に比べ、スタートからフル加速でこの位置に上がるまでかなり体力を消費していたし、この先頭パックのペースで7番目というのはペースの上下が激しい。車の自然渋滞と同じ原理で、ストップ&ゴーが多く、体力の消耗が懸念された。

周回が進む中で僕は先頭パック内の位置取りをもっと前にしようとするにも、トップ4が位置を固めていたので、コーナーや直線などで割込みづらく、体力の消耗もあって、その位置にまでいって勝負できる状態ではなかった。3周目あたりで前回3位のアメリカ人が先頭4人から遅れ出す。要所ではトップの4人に追いついていたけれど、後ろから見ている限り、リズムが悪く、彼の体力の限界に思えた。スタートゴールのメインストレートで一気にアメリカ人の前に出て、5秒ほど開いたトップ4を単独で追い、トップ4人をキャッチ。同時に前回競り合ったイタリア人も追いついてきた。彼のことはヨーロッパで何度も一緒にレースをしているのでよく知っていた。

その後、デンマーク人のリズムも悪くなってきたので、パスし、4番手でレースを進める。トップ3は相変わらずのトップ3で位置取りを固め、それぞれトップ3人で一周ごとに先頭交代しながらハイペースを持続していた。そんな彼らに必死についていき、息が上がり続ける。木と木の間を30km超で駆け抜けていく彼らのペースに目がついていかない。いつものペースでコーナーを捉えると曲がるリズムが合わず、木にぶつかるか、コースアウトしてしまう。スピードが速い分、とにかく、目を、視線を無理にでもコースの先に先にと合わせていく。

レースが進んでいく中で中盤に差し掛かり、先頭パックは僕も含めた5人、ベルギー、スイス、オランダ、日本、イタリアに絞られていた。

まずはベルギーがアタックした。僕は彼のアタックに反応できる彼の真後ろの位置にいたけど、そのアタックを見送ってしまった。頭にアタックについていくなんて考える余裕がなかった。彼はそのまま単独でゴールまで行く。そうして、まずはベルギーが飛び出し、差を広げていった。その次はスイスが飛び出し単独2位でレースを進めた。

その5秒後ろをイタリア、オランダのThijs選手、そして僕の3人で前を追う展開になった。身体は常にレッドゾーンMAX状態で勝負なんかを考えるより、そのトップ3のハイペースに身体を合わせることで精一杯だった。残り2周、Thijs選手が先頭交代を求めたのでパックの先頭に立つ。その時に初めてレースの展開を考えた。それまではついていくので精一杯だったけど、僕のいた3位争いのパックで先頭に立つということは、この3人の勝負争いに参加する権利を得るということ。今、自分は3位争いをしている。その事実に血が騒いだ。パックの先頭に出て、5秒前のスイスを追う。その周はこのレースで初めて自分でペースを刻んで一周を走った。スイスとの差は開かなかったけど、ぼくはかなり体力を消耗した。

応援してくれる福本選手と必死な僕。

ラスト1周に入るところで先頭交代し、イタリアが先頭で、その次にThijs選手、僕、の順番。ラスト1周。こんなレース展開はまさか想像していなかったので、自分がどうなっているのかよくわかっていなかった。3位表彰台。そんなことが頭に浮かび出す。上りのパワーセクションでThijs選手が3位争いの先頭に出てアタックをかける、追うイタリア、そして、僕。イタリアからThijs選手までの差は10mないほど。詰まらない。僕も必死にペースを上げる。残り500m手前のゴール手前の唯一の追い抜きポイントで僕はイタリアをパスし、4位に上がる。このイタリア人とは過去にワールドカップで喧嘩したことのある因縁の選手。今日の彼は異様に強かったし、5位でもいいか、という言葉が頭を駆け巡ったけど、やっぱり彼には絶対に負けたくなかった。彼を気持ちでパスし、そこからタイヤのグリップいっぱい使い、ペースを上げ続け、3位のThijs選手を追う。Thijs選手も疲れているようでその差がみるみる詰まる。スイスとの差も一気に詰まっていた。

ラスト2コーナー前ではすぐ目の前。2,3位がすぐそこにいる。。。最後の最後で詰まり切らない距離、タイヤの限界も超えていたけど、踏み続ける。やっぱダメか、、、ラストコーナーを立ち上がった時のスピードの乗せ方が3位のThijs選手と、まるで違った。あぁ遠い。。と思いつつ、4位でゴール。

ゴール後は、バイクトラブルも一切ないままレースを終わらせてくれた鬼頭メカニック、そして応援してくれていた福本選手にお礼を言った。確かにこのレースで一つの大きな軌跡を残せたことは実感できた。達成感がある、4位という結果は嬉しい、もちろん嬉しいんだけど、そんなことより自分がどのレベルの選手を相手にどういうレースをしたのか、レース内容が結果よりなにより一番嬉しかった。

数字の結果的にはトップのベルギーまでは10秒、2位のスイスまでは4秒、3位のオランダまで2秒。かなり善戦したと思った。この日は僕自身の得意な硬い路面のコースで、スピードコース。そして、アジアで行われたレースであるという点。彼らは欧州と開催された中国との時差や食文化の違いによって、欧州で発揮しているような彼らのパフォーマンスが100%出ているとは思わない。もちろん、今回のコースも、コース幅が狭いし彼らの普段走るレースのスピード域よりかは遅く、実力差が出にくかったのかもしれない。ただ事実として、今回の結果をわかりやすく言うと、2位のスイスは2017年のシクロクロス世界選手権ルクセンブルク大会で24位。ここ数年、まずは目指してきた目標の順位を走る選手と4秒差でゴールできたことは単純に嬉しい。ついにきた、と。

でも、そこからなぜ、その4秒が埋めれなかったのか。なぜ、3位のThijis選手に2秒及ばなかったのか。次のステップへ行くために、今回のレースならばトップ3に入るためには何が足りなかったのか。バイクのセッティングを見直すと、基本的に彼らのペースでレースをするならば、タイヤの空気圧を0.1気圧はあげるべきだった。タイヤの空気圧が低すぎてスピードに対応できず、スリップアウトを何度もした。僕の今までの考えるスピード域のレースより遥かに速いレースだったので、そこは新たな発見だった。そこはすぐにでも修正できる。ゴール前のラストコーナーでタイヤがよれて遅れたけど、それが正しい空気圧ならばタイヤがよれず、3位と1秒差、もしくは3位だったかもしれない。そういうことの積み重ね。あとは、レース展開を作り、予測し、対応していくこと。今回のレースではついていくだけのレースをしていたのでトップ3と比べればレースをしていたのはトップ3人であって、4位以下の選手はレースを作ることに参加できていなかった。なので、レースが動く場面でそれに見合った動きができてなかった。頭でレースがどのように動くかなんて勝負に絡んでいないので予測すらできていなかった。

要はそのレベルのレースに慣れていないということ。このレースを繰り返せば、よりもっと頭を使い、考えれるようになる。もっとこのレベルのレース経験を積み重ねないといけない。優勝したベルギー人がアタックしたときに反応していれば、もしかしたら、僕が勝ったかもしれない。何があるかわからない、可能性は決してゼロではない。そういうことの繰り返し。レースは挑み続けないといけない、改めて今回は強くそう思った。

このレースで新たなステップに立てたと思う。トップ3の彼らのような有名な選手に割って入るために、どうすればいいかなんて今までの僕には現実的に考えれなかった世界。けど、今は具体的にどうなればそのトップ3になれるのか、と考えるようになった。今回のレース結果を勘違いはしてはいけない、けど、心の中で大きな自信になったのは間違いない。今度はやってやる、それもヨーロッパで。そんな気持ちが胸を熱くさせる。

彼らの主戦場であるヨーロッパで果たして今回のレースと同じことができるのか。彼らのホームでアウェイの日本人がどこまでいけるのか。竹之内悠として、アウェイを人のつながりレベルからホームに変える努力は常にしている。文化や食事の違い、もちろんアジア人というだけで嫌がらせなんていつもある、わざと落車させられたり、嘲笑われるなんてしょっちゅう。けど、目指すところはいつも一つ。レースを続ける中で以前より日本人が認知され、今やベルギーに竹之内悠ファンクラブまで出来てしまった。そんな優しい現地の人たちの力にも背中を押して頂き、今年もシクロクロスの本場、ベルギーで走る。今年の10月からのヨーロッパシーズン開幕がとても楽しみだ。

最後にチーム東洋フレームのみんなで。初の中国シクロクロス遠征を大きなトラブルなく終えることができた。これからも毎戦ごとにしっかりとレースを戦えるようにしていきたい。